「指圧の心は母心」という言葉だけを覚えていて、誰が言ったのかは知らないという声をよく耳にします。この一節を残したのは、指圧の創始者である浪越徳治郎です。私たちは四代目として、帝国ホテル東京 本館中2階で今も指圧を続けています。
お客様からいちばん多くいただく質問が、この言葉と創始者のことです。だから今日は、浪越指圧サロンの側から順にお伝えしていきます。
名前は「なみこし とくじろう」と読みます
浪越徳治郎は1905年に香川県多度津で生まれました。幼いころに北海道へ移り、少年時代を留寿都村で過ごしています。「浪越徳次郎」と書かれた資料も世の中には残っていますが、正式な表記は「徳治郎」です。
1925年に、徳治郎は北海道で「指圧」の名のもとに開業しました。1933年には東京へ出ています。1940年には東京で日本指圧学院を開き、指圧師の養成にあたりました。
それまで手技にはさまざまな呼び名がありました。そこへ「指圧」という一語を立てて、人に教えられるかたちに整えたところが出発点です。1925年という年を私たちが節目として置いているのは、そのためです。
「指圧の心 母ごころ おせば生命の泉湧く」
正式な言い回しは「指圧の心 母ごころ おせば生命の泉湧く」です。世の中では「指圧の心は母心」や「押せば命の泉湧く」という短い形で伝わることも多く、私たちはそのどちらもよく耳にします。
手のひらが母の手のようであってほしい。この言葉の芯にあるのは、その願いです。
言葉が短いぶん、読んだ人それぞれの記憶と結びついていきます。施術台の上でこの一節を口にされるお客様は、たいてい誰かの手のことを思い出しておられます。
1964年には、法律の題名そのものに「指圧」の二文字が入りました。あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)がその名前です。一人の手から始まったものが、国のしくみの中に置かれた区切りでした。
制度の中に名前が入っても、手のすることは変わりませんでした。お客様の体に触れて、その日の硬さをうかがうところから始まります。今も同じ順番で進めています。
「ジェット浪越」と呼ばれた頃
テレビに出るようになってから、徳治郎は「ジェット浪越」という愛称で呼ばれました。1954年には帝国ホテルでマリリン・モンローに指圧をしています。その頃の顔を覚えているとお話しくださるお客様も、今なお少なくありません。
名前だけが先に広まって、中身があとから知られていく時期が長く続きました。愛称の響きに引っぱられて、指圧そのものを勢いのある手技だと受け取る方もおられます。実際の手はもっと静かで、体の様子をうかがいながら少しずつ深さを変えていきます。
留寿都村に建つ銅像
北海道虻田郡留寿都村には、徳治郎の銅像があります。少年時代を過ごした、ゆかりの土地です。旅の途中で立ち寄ったと、写真を見せてくださるお客様もいらっしゃいます。
銅像の前に立ったお客様が、帰りに指圧を受けにいらっしゃることもあります。1925年から数えてきた年月が、そのまま一本の線としてつながって見える瞬間です。
徳治郎は2000年に世を去りました。二代目の浪越徹がSHIATSUを海外へ伝え、三代目の浪越孝が受け継いでいます。四代目の浪越友哉を中心に、私たちは帝国ホテル東京 本館中2階の浪越指圧サロンで今日も手を当てています。
運営は株式会社浪越指圧アソシエイツです。ご予約はお電話(03-3581-7354)、またはメール reservation@
指圧は、国家資格「あん摩マッサージ指圧師」に基づく施術です。医師による診断・治療に代わるものではありません。