浪越徳治郎について

浪越指圧の創始者、初代・浪越徳治郎の歩み。

母のリウマチと、6歳の少年

浪越指圧は、1925年(大正14年)、浪越徳治郎によって創始されました。

徳治郎は1905年、香川県に生まれました。5人兄弟の3番目です。
6歳のとき、父・栄吉の経営する会社が倒産し、
一家7人で、北海道虻田郡留寿都村へと移住することとなります。

温暖な四国から、厳寒の北海道へ——
当時の交通事情を思えば、それは過酷な旅でした。
そして環境の急変は、母・まさの身体を蝕んでいきます。

最初は膝の痛み。
家族は長旅の疲れだろうと、たかをくくっていました。
しかし痛みは、膝から足首、手首、肘、肩へと——全身へ広がっていったのです。

現在でいう「多発性関節リウマチ」の重い状態と推測されます。
当時の留寿都村は無医村。医者もいなければ薬もない。
できることは、5人の幼い子供たちが交代しながら、
母の身体をなで、さするだけでした。

しばらくすると、母が言うのです。
「徳治郎の手が、いちばん気持ちいい」と。

母の介護は、徳治郎ひとりに委ねられました。
母はこうもアドバイスしてくれました。
「なでたり、さすったりするより、背中から腰のところを、
グーっと圧してくれるのが、いちばん気持ちいい」

徳治郎は、母の言葉に従いました。
腰の硬くなっている部位を、身体の表面に対して垂直に、
一点に集中して圧していく——
すると、硬く凝り固まっていた筋肉が、ゆっくりと柔らかさを取り戻していく。
6歳の手のひらに、その変化が伝わってきたのです。

やがて、母の痛みは軽減していきました。
そして全身の関節の痛みは、嘘のように消え去っていったのです。

薬や注射、器械を使わず、手指のみで、人の身体に向き合う——
その確信が、少年のなかに芽生えた瞬間でした。

これが、指圧の起源です。

指圧の確立と、教育の歩み

按摩、マッサージの免許を取得した徳治郎は、
1925年(大正14年)、北海道室蘭にて、
世界で初めての指圧の施術所を開きます。

弟子の養成、育成にも力を注ぎ、
1933年(昭和8年)には札幌の施術所を弟・春夫に託し、
自らは中央へと進路を定めます。

東京で開業した徳治郎が痛感したのは、
指圧という新たな手技を広く世に伝えるためには、
協力者を育てねばならないということでした。

1940年(昭和15年)2月11日、紀元節の日。
東京・小石川、伝通院前に「日本指圧学院」が設立されました。
徳治郎が指圧に注いだ愛着の、ひとつの結実でした。

地道な臨床と教育の歩みは、やがて実を結びます。
1955年(昭和30年)、指圧は法律で認められます。
ただしその時点では「按摩(指圧)」という扱いでした。

1957年(昭和32年)、日本指圧学校が厚生大臣認定校に。
我が国初の、指圧師養成専門校の誕生です。

そして1964年(昭和39年)、法律名が改正されます。
「按摩、マッサージ、指圧師法」——
ここに「指圧」は按摩から独立し、
ひとつの手技としての独自性を、公に認められたのです。

世界の名士たちと

徳治郎の指は、世界のさまざまな分野へと届いていきました。

日本では、吉田茂をはじめとする歴代総理大臣。
1954年、新婚旅行で来日していたマリリン・モンローが
帝国ホテルにて急性の胃痙攣を起こし、
医師による注射と投薬を拒んだ際、徳治郎が呼ばれることとなります。
計7回の施術が、彼女の旅程を支えました。

スポーツ界では、ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリ。

百年の歴史は、こうした出会いの積み重ねのうえに築かれてきました。